勝田清孝



勝田清孝(かつたきよたか 1948年8月29日生)
 [連続殺人犯]


 1972年から1983年まで約10年間にわたり凶悪な犯罪を繰り返し、犯行方法も次第にエスカレートしていった。警察官を交通事故で呼び出し、駆けつけた警察官を車で轢き、銃を盗むという過激な犯行にもおよび、1982年10月31日から翌日にかけてその拳銃で、高速道路のサービスエリアから強引にヒッチハイクして乗り込んだ車の運転手を射殺、この一連の犯行で警察庁は「警察庁広域重要指定113号事件」に指定した。殺人の人数については22件について疑われ、本人も22人を殺害したと自供したものの、14件は確証がなかったため立件されず、確定しているのは8人のみである。なお、勝田の犯行とされているものの多くは初め別件だと思われていた。

 勝田清孝は京都府相楽郡木津町に農家の長男として生まれる。高校在学中にひったくりで逮捕、大阪府の和泉少年院に送致される。出所後、職を転々とする。隣町の1歳下の女性と付き合い結婚を考えるが、「少年院帰りとは一緒にはできない」と女性の両親に断られ、勝田の両親も「家の格が違う」と反対。このため2人は大阪へ駆け落ち。奈良の運送会社で働き始めた後に、両家の承諾を得て結婚、子供が生まれる。

 前科を隠して23歳で消防職員採用試験に合格。すぐに職場で判明するが、それにより免職されることはなかった。真面目な仕事ぶりで評価が高かったが、愛人や車などで金遣いが荒く、借金の穴埋めのために長距離輸送のアルバイトを始め、空き巣を始める。また、その前頃の時期に近隣の銀行で女子行員暴行殺害事件が起こるが、警察が勝田に疑惑の目を向け、そのために勝田は警察への不信と、うまくいかない人生への不満を募らせていた。水商売の女性のバッグには大金が入っていることが多いのに気付いた勝田は、クラブのホステスを狙いひったくりを繰り返すようになる。女性が騒ぐと容赦なく殺した。勝田が殺した5人の女性には、いずれも複雑な人間関係があり、それが発覚したために離婚や失職をした者もいる。大金を盗まれた形跡がないことから警察は怨恨や痴情のもつれが原因ではないかとの見方から顔見知りの犯行と判断し捜査を進めていたことから被害は拡大した。その裏で、勝田の借金はさらに膨らんでいった。

 1974年、消防副士長となったのを機に、父親に賭博で負けたと嘘をつき200万円の借金を肩代わりしてもらって借金清算するも、車と酒と愛人の誘惑に勝てず、再び借金が増えていく。表彰20回、全国競技大会に2年連続入賞という実力で消防士長に昇格した頃には、昼間は真面目な消防隊員、夜は強盗殺人犯に変貌していた。

 全国競技大会出場のころ、ぷっつり殺人も空き巣もやめていたのは、本職の消防士として責任ある地位についていたこと、また愛人の存在を知った妻が自殺未遂を起こし、愛人や車に貢ぐ金の工面どころではなかったからと後日、自供している。長距離輸送のアルバイトや空き巣や殺人を繰り返し、10年に及ぶ約300件の窃盗・強盗殺人の後、ようやく逮捕された。詳細な自供により、犯行の数々が明らかになった。

 1972年から1980年までに7人を殺害した件と、1982年に警察官から奪った銃で警察庁広域重要指定113号事件を起こした件で2つの死刑判決を受けた。獄中で視力障害者のための点字翻訳ボランティアをしていた。なお名字を「藤原」に改名していた。2000年11月30日午前11時38分に死刑が執行されたが、自らの遺骨や所有物を全て燃やして欲しい旨の遺言を遺した。1977年7月6日には殺人事件から6日後に「夫婦でドンピシャ!」というクイズ番組に出て優勝したというエピソードも残る。

 2000年11月30日死去(享年52)


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